皆さんこんにちは。
雪之介です。
半年前くらいでしょうか、新聞の随想に載っていました。
ちょっといい話でしたので何かの機会にと思い切り抜いて手帳に挟んでいました。
シンガーソングライターBOROさんの記事でした。
ちょっと長いですが、全文載せます。
「人情はありますか?」
16歳の時に、私の最大の理解者だった母が天国へ。
高校に入学したものの、私の音楽への夢が理解できない父との二人暮らし。
思い通りにならない現実の中で思い悩み、無謀にも東京へ家出することを決意しました。
しかし、高校生の私に東京へ行く旅費などありません。
そこで、働いて旅費を稼ぐことにし、川西の鉄工所でアルバイトを始めた。
朝から晩まで休みなしで機械が動く中、「東京へ行く!東京へ行って音楽をやる!」
という思いだけが私を突き動かしていた。
工場で出してもらう昼食が唯一の食事。
残業をすると夕食も出してくれたので、なるべく残業をさせてもらった。
小さな町工場の社長さんも奥さんも人情に溢れていた。
当時の旅費もアルバイト代もすっかり忘れてしまったが、片道の切符代が貯まれば
黙って消えるつもりだった。
家出だから、とうぜん野宿で、田んぼの道具入れで寝たり、大きな工場の軒先で寝たり。
11月の寒空の下でも夢見る青年の体温は熱かった・・・・・。
結局、目的の片道切符代が貯まる前に警察に保護され、家出は失敗に終わった。
退学覚悟で父と高校に挨拶に行った時、担任の上杉先生は
「彼は音楽しか頭にありませんよ!お父さん、認めてやったらどうですか?ただし、
二十歳まで」と父に話してくれた。
自分の夢を解ってくれる大人なんていない!と思っていた私は、上杉先生のその一言に涙があふれ出て止まらなかった。
おかげで退学は免れ無事高校を卒業した。
この家出の旅は私が人情に触れて歩いた旅のような気がします。
鉄を打つ町にも、学校にも、警察にも人情があった。
今、皆さんの町に人情はありますか?
という文章でした。
ラヴィーナ相生は、相生高校のすぐそばにあります。
朝夕に高校生たちが、ラヴィーナの前を通って行きます。
私は、心の中で「諸君、自分の夢に向かって頑張って下さい。」と
いつも声援を送っています。
それでは、又。
雪之介のちょっといい話 ② でした。